私は終戦後の昭和二十四年中学校を卒業し、あの経済界混乱の時期に社会への第一歩を踏み出し、親兄弟と共に工業界の苦労をなめざるを得ない境遇におりました。
昭和二十六年精穀機第一号製作の頃は最も苦しんだ時期であります。
研究に研究を重ね漸く試作の段階にまでこぎつき得たのでありましたが、真の苦労はまだまだ終つてはいませんでした。
試作品の製作費もなく、幸いにして試作品ができたとしても、発明品が果たして市販でき、物になるかどうかにも当時は全く自信なく、発明者の誰もが体験する不安に途方に暮れ研究中止の誘惑にかられたことも幾度かありました。
斯る時に私の不安を除去し、頼みの綱ともなり、勇気付け、物心両面よりの面倒を見て頂いた後援者の幾多の行為を忘れることができません。
この時から、これらの人々に報謝するの道は後進者に再び私のなめた辛苦をなめさせない為、その研究を援助する機関を設立するにあることを痛感致しております。
私の歩んできた道が異状であつたかもしれませんし、又私が特異の事情下にあつたのかも知れませんが、私の経験よりすれば、斯る機関の積極的支援があれば
「今一歩で研究完成という幾多の有用な発明の中止」の事実も幾分かは緩和できるものと確信しております。
幸にして私の発明はどうやら成功し、只今四十に及ぶ特許権、実用新案権及び意匠権を獲得し、或いは出願中であり、私個人に関する限り漸くにして研究に没頭することが可能になりましたので皆様への御恩報じの余裕もできるようになったと思つております。
友人、知己並びに後援者の方々の賛同を得、此処に所有特許権、意匠権等の一部を寄附し、発明者の援護及び技術開発等を目的とする財団法人を設立し一般社会に聊かでも貢献せんことを念願しております。
昭和三十八年四月九日 |